2018年02月27日
従藍而青
従藍而青(じゅうらんにしょう)
「青は藍より出でて藍より青し」
藍染は、藍という植物を使って青い色を出します。
何度も染め重ねることによって、元の藍よりも鮮明で美しい青い色を出すことが出来ます。
人が成長する上で努力や鍛錬がどんなに大切かということの譬えとして使われています。
また後進が成長し、先人を超えていくことの譬えとしても用いられます。
最も大切な言葉の一つとして常に心に刻んでいて、そこから自分の子供の名前にも引用させていただいております。
私が人生の師匠と仰ぐ方は、常に青年を愛し、青年を訓練し、青年がご自身を超えていくことを常に願われています。
昨日平昌冬季オリンピック日本選手団の帰国会見が行われました。
どなたの発言か覚えていないのですが、
「後輩は先輩たちを追い越していかなければならない」
という旨の発言を聞きました。
私は本当にその通りだなと思い感心しました。
スポーツのように勝負があり技術の有無がはっきりしている世界はもちろんですが、何の世界でも同じ、究極的に言えば、人生は最後まで成長し続けるものであり、その成長にはあらゆる人々との関りが絶対に欠かせないと考えています。
そうであれば、意識するしない関係なく、皆誰かの助けを借りて成長していくでしょうし、逆に自分が誰かの成長のための働きになっているはずです。
親子がわかりやすい関係かもしれません。
私はいつの頃からか無意識のうちに、自分の親は超えていかなければならない存在という感覚がありました。
自分に子供ができたら逆の発想が当然のようにありました。
自分をどんどん超えていってほしいと。
仕事も同じだな~とつくづく感じます。
ポスティングの仕事も私が初めて立ち上げた世界ではなく、ずっと昔から行われていた仕事です。
多くの数えきれないほどの先輩方が積み重ねてきた業界です。
そこに入り、やるからには、誰にも負けない立派なポスティングの組織を作り上げたいという野望を持っています。
多くの人々に好感をもって受け入れられ、正しく認知してもらうための努力をしたいと思っています。
たくさんのクライアント様のために仕事をし、少しでも多くの喜びを感じてほしいと願っています。
今はまだ先輩方の背中を追いかける立場です。
しっかり追い越していきたいと思います。
そして、たくさんの後輩たちを作り、大きく成長させていきたいです。
それが今の私の一つの夢です。
夢を持つことはの大きな幸せですね。
夢を夢で終わらせることなく、しっかりと実現させて参ります。
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2018年02月26日
春に向けて
昨日平昌冬季オリンピックが閉幕しました。
たくさんの感動と勇気を頂きました。
東京オリンピックを前に、日本選手も大活躍でした。
主催地韓国も盛り上がりました。
北朝鮮との融合も実現しました。
メダルを取れなかった選手もみんな頑張り、たくさんの感動を頂きました。
色々な問題もあったかもしれません。
しかし、オリンピックは本当に平和の祭典なんだなと実感しました。
政治で解決しないことも、スポーツを通じて、スポーツ以外でも、民衆同士がじかに交流すれば平和は必ず実現できるんだと、強く思いました。
私が直接観戦できたのは、女子カーリングの準決勝と三位決定戦ぐらいでした。
準決勝の韓国戦、韓国は本当に強かった!
最後の最後で日本の逆転も見えてきましたが、最後は韓国が決めました。
悔しかったけど、なんとも清々しい気持ちになりました。
三位決定戦のイギリス戦、最後は思わず叫んでしまいました。
韓国戦と違い、序盤から日本チームは落ち着いて流れをつかんでいるように見えました。
終盤第9エンドで日本がスチールした時には、完全に日本に流れがきたと思いました。
第10エンドの藤沢選手の最終投、完全にミスショットになりました。
ドキドキしながら、延長戦での勝利を願いながらイギリスの最終ショットを見ていました。
日本のストーンが真ん中に流れ込んできた瞬間には、こんなことがあるのだろうか!と驚きと勝利の感動で興奮しきりでした。
いずれにしても、本当に楽しいオリンピックでした。
次の北京冬季オリンピック、その前に東京オリンピックですね。
私は残念ながらスポーツはやっていないので観戦のみですが、是非楽しみにしたいと思います。
さて、昨日弊社ホームページのお知らせにて告知させていただいたのですが、業務内容の改定を行います。
昨年10月12日より業務を立ち上げてから4か月余りの時間が経ちました。
この間様々な方にお世話になりました。
実績も重ねさせていただきながら、少しずつ形もできております。
多くの反省材料もございます。
春が動き出す3月を前に、一旦これまでを振り返り、改めてダッシュするために業務改定を行うことにした次第です。
内容として今回は基本のポスティング配布エリア変更ということになります。
協力会社とのすり合わせも行い、需要の高い長崎市を基本エリアに組み込むことになりました。
長崎市、諫早市を基本エリアとして、更に多くのクライアント様のお役に立つ仕事をしていこうと改めて決意しております。
尚、大村市、時津町、長与町に関しましては、従来通りご対応していく予定ですので、その都度ご相談を頂けると幸いです。
一方的な業務改定でございますが、更なる発展・飛躍のためであり、将来のための基盤づくりでもあります。
何卒ご理解のほどお願い申し上げます。
獅子は前三後一といって、ねずみのような小さな相手と戦う時でも、一歩下がって態勢を整えてから、全力で戦いに挑むと言います。
私もそれに見習って、全力で春を駆け抜けていこうと決意しています。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
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2018年02月25日
東長崎
東長崎とは、長崎市東部に位置する地域を指します。
私は小学2年生から中学校卒業までこの東長崎に住んでいました。
中里町というところで、古賀小学校、東長崎中学校の卒業です。
その頃も東長崎という地名はなかったので、漠然と長崎市の東側で、
日見峠を挟んで長崎市から隔絶された形になっていたのでそう呼んでいたものとばかり思っていました。
ところが、調べてみると東長崎という地名が昔はあったんですね。
1889年:町村制が施行され「西彼杵郡矢上村」「北高来郡古賀村」「北高来郡戸石村」が発足。
1955年(昭和30年):「西彼杵郡矢上村」「北高来郡古賀村」「北高来郡戸石村」が新設合併し「西彼杵郡東長崎町」が発足。
矢上村や古賀村、戸石村は、東長崎町矢上名のように、「名」の扱いになった。
1963年(昭和38年):長崎市に編入されて東長崎町は解消し、各名は市の行政区に継承され長崎市~名となる。
1971年(昭和46年):各名が廃止され、町を設置。
という歴史があり、1955年から1963年までの8年間『東長崎町』が存在したんですね。
この年になって初めて知り、ちょっと感動した次第です。
私の地元古賀が北高来郡だったのにはビックリです!
因みに、平成17年の行政区再編で「北高来郡森山町」「北高来郡高来町」「北高来郡小長井町」「西彼杵郡多良見町」が、
諫早市に編入され、『北高来郡』は消滅してしまいました。
今東長崎というと、日見峠からのエリア、芒塚町・宿町・網場町・堺のいはゆる日見中学校エリアも含まれると思います。
昔は日見エリアはまた東長崎とは別というイメージがありました。
その理由を考えたのですが、先日のブログ(領境石標)でもご紹介しましたが、
江戸時代の日見村は天領であり、矢上は天領ではありませんでした。
佐賀藩諫早領矢上村だったのですね。
そもそも東長崎町は古賀から矢上までで、やはり日見は別でした。
言葉とイメージは、時間の流れとともに変わっていくのですね。
東長崎を「ひがなが」と呼ぶ人がいます。
私が子供の頃は、この「ひがなが」の呼び方は市内の人が東長崎を蔑んだ呼び方という認識があり嫌いでした。
長崎市の東のはずれで、確かに田舎でした。
だからこそ「ひがなが」と呼ばれると、コンチクショ!と思ったのです(笑)
今の人はそういう感覚は知らないでしょうし、単純に省略して呼んでいるだけだと思います。
しかし習性でしょうね。
「ひがなが」と聞くとやはりいや~な気分になってしまいます・・・
もしかしたら、江戸時代に天領だった日見までの人々が、天領ではない矢上から向こうの地域を、
別の天地という見方をしていたのかもしれないな、などとふと思ってしまいました。
因みに、日見峠・日見トンネル・日見小学校・日見中学校と、日見の名前はしっかり残っています。
しかしながら、日見という地名は今はありません。
坂本龍馬は「長崎はわしの希望じゃ」と言ったとか。
江戸時代、長崎へ入るための長崎街道。
東長崎を通り、日見を通り、日見峠を超えれば、いよいよ希望の長崎という地理です。
日見宿・矢上宿など宿もたくさんあったようです。
東長崎も、日見も、長崎に行く人、長崎から帰る人にとって、大切な大切な街だったんだと誇らしく思います。
東長崎は私の地元であり、日見は私の母が幼少期を過ごした場所でした。
私のルーツ、東長崎のご紹介でした。
2018年02月24日
現川
現川町で工事されている九州新幹線長崎ルートのトンネルです。
久し振りに通ったら随分工事も進んでいました。
トンネルが完成したらこの光景も見られないと思い撮影してみました。
九州新幹線長崎ルートは、地元では賛否両論あります。
私も懐疑的な一人でした。
導入に際しても、フリーゲージトレインの問題など、スムーズにはいっていません。
長崎が求める恩恵とはほぼ無縁な、隣県である佐賀県は対応に冷淡な部分もあります。
そもそも長崎に新幹線を導入する狙いは、直通の新幹線を関西まで繋げて、
本州の観光客を誘致することだと聞いています。
九州、なかんずく長崎は西の果てで、本州とは隔絶された感が否めません。
観光の目玉としてハウステンボスが頑張っていますが、交通のアクセスはやはり大きな課題です。
長い時間をかけ、多くのお金を使って今新幹線工事は着実に進捗しています。
せっかく作るんですから、長崎にも、佐賀にも、他県の多くの方々にも大きなメリットのあるものとして、
街づくり、観光政策等を含めて、立派な運用を期待したいと思います。
現川町は、東長崎の中でも西山台、三川町などに面した山手の農業の町です。
現川焼とう窯元もあります。
JRが通っており、無人駅の現川駅もあります。
JRで現川駅から長崎方面に向かうとすぐに20分ほどかかる長いトンネルに入ります。
そのトンネルを抜けるとあっという間に浦上駅に到着します。
子どもの頃はこの不思議な感覚が好きでたまりませんでした。
山の中にある現川駅。
道路から線路が見下ろせ、トンネルの入り口も足元に見ることが出来ます。
夏は涼しく気持ちのいい場所です。
山の方へ走ると、中尾-木場線に抜けることもできますし、西山台へ抜けることもできます。
山道ですが多くの人が使う便利な道路なのです。
現川という名前。
読み方わかりますでしょうか?
正解は『うつつがわ』と読みます。
この名前も好きなんですよね。
名前の由来を調べてみましたが、
「細長い土地を流れる川を意味するところからついた」とうことで、よくわかりませんでした。
夢ではなく、現実の川ですよ。
勝手にそういうことを考えたりしていました。
この現川を調べていたら、東長崎の来歴も知ることができました。
東長崎についてはまたの機会にご紹介できればと思います。
今日もいいお天気でした。
鼻水・くしゃみ・目のかゆみとの戦いのポスティングでした(笑)
2018年02月23日
三寒四温
今朝はマイナス1℃まで気温が下がり、NMAXにも霜がおりていました。
学校に行く時に子供たちがいたずらしていました。
朝はそれだけ冷え込んでいましたが、昼間は10℃以上に気温が上がりました。
三寒四温とは言いますが、1日でこんなに温度差があると体がもちません。
ポスティングに朝からバイクで出動するので、それなりに温かい恰好をしなければなりません。
動き出せば上着を脱ぐことは出来ますが、やはりそれなりに温もります。
今日は汗だくになり、帰ってから速攻で着替えました。
今日は東長崎方面へ出動。
東町は前職でよく回った地域でしたが、いつも暗い時間帯でした。
今日は遊び心で、最後の家の更に上まで上ってみました。
細い車道がずっと続いていて、私は途中で止まりましたが、
その上は普賢岳の頂上近くまで続き、お寺か何かがあるようでした。
写真は私が止まったところで撮りました。
少し『天空の城』っぽく撮れました。
写真でもおわかりになるかと思いますが、今日は空がかすんでいました。
PM2.5?
黄砂?
春霞?
正体はわかりませんが、私は春霞と判断し、しばし景色を堪能していました。
もうすぐ春ですね。
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2018年02月22日
親戚のご紹介
マルチーズのミックスだそうです。
弟夫妻の家族のような存在。
なので、私にとっては親戚です。
縁あって弟のところに引き取られ、幸せな生活を始めたのが1年ほど前。
ところが昨年末、血液の病気に見舞われ、懸命な治療を行っています。
生死に関わる大病だったのですが、治療が奏功したのか、今元気に走り回っています。
せっかく縁したからには、目一杯幸せになってほしいと心から願います。
会ったらいっぱいなでなでしてあげます。
それでも可愛くてたまらないのでした。
2018年02月21日
緊急警報
2018年02月21日
長崎知られざる旧跡~領境石標~
江戸時代のものですね。
長崎は天領として幕府直轄で治めていたのです。
歴史ですね~。
街道沿いには砂糖を使った菓子作りの技法も入手しやすかったため、全国的な銘菓も生まれています。
そのため長崎街道は別名『シュガーロード』とも呼ばれています。
2018年02月20日
普段見ない場所
私の大好きなどん詰まりです。
ここから先は人の住む場所のない特別な場所。
閉塞感。
静けさ。
何より、特別に用事がなければ決して来ることのない場所。
町の隅々まで回ったという満足感も得られます。
そんなところが好きなのかな~♪
などと思いながら回ってきました。
2018年02月19日
健脚の歴史
特に雨の日は車で出動するので、ほとんど歩きっぱなしになります。
今日も朝からずっと雨模様のため、妻と二人で出動しひたすら歩いてきました。
傘もさしますが、チラシをかばうので左半身はずぶ濡れです。
苦労は多くなりますが、どんな天候でも稼働できる体制を作りたくて頑張っております。
当時は東長崎の中里に住んでいました。
東長崎中学校までは通常バス通学です。
歩けば片道1時間ほどかかります。
長崎には実は『片道定期券』というのがあるんですね。
行きか帰りのどちらかだけの定期券です。
私も友達もそれを活用してお小遣い稼ぎをしていました。
通常の定期券代を親からもらい、朝バス通学して帰りを歩いて帰るのです。
定期券は片道分なので代金も半額です。
残った半分のお金をお小遣いとしてもらっていたという次第です。
当時の我が家は余裕もなかったので、それをお小遣いにしてくれんねという親公認のお小遣いだったのです。
周りの友達も結局似たような話でした。
毎日学校が終わったら友達と遊び、そこからまた友達と色んな話をしながら歩きました。
本当に楽しい毎日でした。
おそらく一番遊んだ時代ではなかったでしょうか。
杉山清貴&オメガトライブ・稲垣潤一・中森明菜・チェッカーズなどなど。
私はオフコースにはまっていました。
レコードからCDに時代が切り替わるまさにそのタイミングでした。
前述の通りお金は持っていません。
浜の町まで行けば中古レコード屋さんがあります。
私と友達が選択したのは、歩くということでした。
今の日見峠は新しいものです。
旧道と呼ばれる道路が当時の日見峠です。
東望団地あたりからずっと日見峠を歩き、面白いのでトンネルを通らずにトンネルの上を歩きました。
バス代を節約するメリットが第一目的なのですが、友達と歩くというのが楽しくて仕方なかったですね。
何度となく東長崎⇔浜の町を歩いたものです。
歩きではありませんが、高校時代友人に誘われて轟の滝まで自転車で行ったことがあります。
轟の滝とは、諫早市高来町の山の上にある、あの轟の滝です。
その友人はいはゆるサイクリング車。
私のはママチャリ。
山の途中で置いてかれて、おーい!おーい!と叫んでいました。
きつかったけど、やはり楽しかったです。
別の友達とは諫早の高校から愛野町まで歩いたこともありました。
今こうやって元気に歩けるのも、その頃の鍛えの賜物かもしれません。
バリバリ歩いて老後に備えるとしましょう(笑)