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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2020年09月11日

アイソトープ治療

今回は極めて個人的な記事となります。

皆さん、アイソトープ治療という言葉を聞いたことがありますでしょうか?
バセドー氏病(甲状腺機能亢進症)の治療方法のひとつで、別名を放射線ヨウ素治療とも呼ばれます。
治療は放射線ヨウ素のカプセルを飲むだけの簡単な治療だそうです。
しかし放射線を扱うため、指定された病院でしか治療は受けられません。
そして、この治療には前後して様々な制約が発生します。
治療の1~2週間前から治療後数日程度まで、ヨード(ヨウ素)制限食として、ヨウ素を含んだ食べ物を避ける食事をしなければなりません。
治療後は甲状腺の状態を調べるため、何度も検査を受けることになります。
治療後一週間程度は体から放射線が放出されるため、人との接触厳しく制限されます。費用もそれなりにかかるようです。

以前このブログでも書いたことがありますが、私は今バセドー氏病の治療を受けています。
昨年の1月からですので、既に1年9か月目を過ごしております。
20年ほど前に治療した際も同じだったのですが、メルカゾールという薬の投薬を毎日行い、定期的に甲状腺の状態を調べ、それに合わせて薬の量を調整する、それの繰り返しです。
前回の治療では検査数値の正常化が続いたことをもって寛解として治療を終了していました。
今回の治療では1年半を過ぎた頃の検査で、数値はおおむね正常化してきておりました。ただ、甲状腺自体の腫れはひいておらず、治療を終了する状態ではないようでした。
そこで先生から紹介をいただいたのがこのアイソトープ治療でした。
定期的(1~3か月ごと)に通院・検査し、薬の量を調整しながら現状を維持していくのが今の治療法であるのに対し、アイソトープ治療を行えば半年から1年に一回程度の通院で済むようになるとの説明でした。
下手をすると一生涯この病気のために通院と投薬をし続けることになるのかと考えると、ぜひアイソトープ治療に切り替えようと思いました。
アイソトープ治療についての歴史や安全性、メリット・デメリットなどの説明を受け、それに関する資料をもらって勉強し、その上での決断となりました。

いよいよその治療日が近づいてきて、とうとう昨日からヨード制限食がスタートしてしまいました。
ヨウ素を含む食品を食べられないので、外食がまず厳禁となります。
出来合いのお弁当・総菜も不可です。とにかくヨウ素の入っていない食品を選び出して自分で作るしかないのです。
ヨウ素を含む食品の代表として昆布があります。昆布とひじきは突出してヨウ素の含有量が多いらしいのですが、その他海産物関係にはヨウ素を含む食品が多々あります。日本人は世界一ヨウ素を摂取している国民だそうです。それ以外にも着色料や増粘剤などの食品添加物にもヨウ素を含むものがたくさんあります。ペットボトルのお茶でさえ不可のものが存在します。要は、何が入っているかわからないものは一切口にできないということなのです。
もう少し簡単に考えていたのですが、思っていた以上に大変な作業となります。
先日妻と一緒にスーパーに買い物に行き、ヨード制限食を意識した食材を買い揃えてきました。結構な出費となってしまいました。
結局ヨードを制限するということは食べられるものが大幅に制限されるということになるのですね。そのせいかはわかりませんが、ひどい空腹感にさいなまれ、一日で体重が1㎏近く減ってしまいました・・・
妻には今回多くの負担をかけてしまうことになります。
週明けに原爆病院に行って治療を実施し、17日までの食事制限となります。短期間ではありますが、途方もなく遠いゴールに見えてしまいます。

病気についてはいろいろと考えさせられる昨今ではありますね。
安倍総理大臣も病気のために無念のリタイアとなりました。
私の長女も長期の入院生活を送っております。
新型コロナウィルスという病気で世界中が混乱している真っただ中でもあります。
ひとつ言えることは、健康になるための努力は絶対に行うべきですが、その努力と病気にかかることは別の話であるということです。
一口に病気といっても様々な病気が存在します。
誰がいつどのような病気にかかるかはわかりません。
「病気や事故が人を殺すことは絶対にない」とは文豪トルストイの卓見です。
病気は人それぞれに起こりえます。
病気はめでたいものとして歓迎されるものではありませんが、病気自体が人を殺したり、人を不幸に貶める存在でもないのでしょう。
病気になった時に、どのような心構えで生きていくかによって、病気自体が死神にもなれば、宿命さえ変えてしまう成長の糧にもなります。
私の闘病もまだしばらく続きそうですが、明るい心で前向きに向き合っていきたいですね。


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Posted by spsnagasaki at 20:32Comments(0)

2020年09月11日

佐世保の思い出

この仕事を始める以前、諌早や大村と同じように佐世保へもたまに遊びに行ったりして楽しい思い出がたくさんあります。
そもそも馴染みのある土地柄ではありませんでしたので、土地勘も何もない状態でしたが、ハウステンボスや海きらら・森きらら、九十九島、夜の弓張岳からの夜景など、その都度楽しませていただきました。

もう10年以上昔のことですが、以前の仕事である新聞販売店の仕事で半年ほど佐世保市内に滞在したことがありました。
本来長崎市内の父の販売店で従業員として働いていたのですが、研修という名目で佐世保市の販売店に出向したような状況でした。
早岐地区の範囲内でした。早苗町という町にあるレ〇パレスに部屋を借りて、妻と一歳の長女は女の都の実家に身を置いて、だいたい一週間ぐらいのスパンで私のアパート、佐賀の自身の実家の3か所を渡り歩くような状況でした。
女の都の自宅と佐世保のアパートと佐賀の実家の位置関係は、ちょうど正三角形になるように同じ間隔の位置関係にあったのです。
そんなある日、佐賀の実家にいる妻から夜中の3時ごろに電話が入り、娘が苦しんでいて病院に向かっているとこのことでした。私は配達業務が終わったその足で、青ざめながら慌てて三川内の道を佐賀に向かって走りました。
しばらく走っていると再度妻から電話があり、便秘がひどい状況のため浣腸をしたところ落ち着いたので、もう来なくていいとのことでした。
心の底から安堵した瞬間でした。今でも忘れません。
大塔ジャスコ(当時)やヤマダ電機など、休みを使ってはショッピングにもお出かけしました。
またハウステンボスが近いこともあり、夜の花火を外から楽しませていただいたこもとありましたね。

この半年の期間に妻が次女を妊娠していることが判明しました。この時に早岐の町を多少知ったことが、今回佐世保に進出する際のよすがとなっていたことも事実ですね。しんどいことも多々ありましたが、私と佐世保を繋ぐ貴重な半年間でした。
今は、また新しく私と佐世保の絆を日々深めていっているつもりです。
たくさん佐世保を回って、私の町、大好きな街、第二の故郷にしていきます。
佐世保の皆様、今後ともよろしくお願いいたします!


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